戦艦大和の存在を国民が知ったのは終戦直後(D.B.E二一型筋肉痛)

軍事秘密は秘密のままでしたからね。それは徹底していて、今現在見ることのできる大和の設計図は終戦後に書き直されたモノで本当にこの通りだったのか確かめようのないモノらしいですし。
大和以外の戦艦は本当に旧式の戦艦しか持たなかったから、これを知ったときにはびっくりしただろう。世界最大最強の戦艦を所有していたことを知って。
これで大艦巨砲主義は終了したとか思う人もいるんだろうな、航空母艦をもっと作れば良かったと思う人もいるんだろうな。
でも、ここに出てくる数字を見てもわかるように圧倒的に物量に差があったんですよ。日本とアメリカでは。
航空母艦を中心とした戦略は物量を主体とした消耗戦。アメリカ相手にそんなことをしたらどうなるのか分かり切っている。真珠湾攻撃に何を使ったのかを考えればその有効性はよくわかっていたのにあえて使わなかった、いや使えなかった。
まぁ、戦争を始めたら負けるに決まっているのはわかっていたんだろうけど、ハルノート突きつけられたら開戦するしかなかったし。
で、少数精鋭で戦い抜くしかないと考えての戦艦大和、武蔵、信濃ですよ。
シューティングゲームで一機の戦闘機(しかもプロトタイプ)が敵中枢部にまで乗り込んで単機果敢に相手を殲滅させるそんなイメージだったのでしょうね。
そしてそれは日本人好みの設定と言うことで、どんどん大和は日本人に(おもいっきりゆがんだ形で)愛されるようになっていったんですね。
俺は伊400型(潜水空母)の方が好きだけど。